オリンピックの想い出


s写真


週の前半はいい天気。

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日曜日は午前中にランニング。


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ニダ川沿いを15kmほど。道が良くなっていた。


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沢山の人が走ってました。


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ベルリンマラソンのJKTを着たジョガーさん。


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ペースが同じ位なので(キロ5分半くらい)、風よけに5kmくらい
後ろを走らせてもらいました。ダンケ!

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村上春樹さんの、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」。


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ドイツ語版のCD。


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日本での移動中に聞こうと思って買ったのだ。
(でも結局一度も聞かなかった、、)

ドイツ語を忘れないようにと(うそ)。

日曜日に走りながら聞いたけど、思ってたより判りやすい。

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オリンピックも終わったか。

ドイツに帰ってきてから全然観れてなかった。
仕事と重なってんだよね、競技時間が。

日本にいた先週の方が観れてたかな。
(寝不足になったけど)

残念。
アルペンスキーでは結果が出なかったか。

あそこは連盟に問題があるからな、昔から。
あの連中が辞めるまで勝てないわ、W-CUPでも。

コーチのクリスチャン・ライトナーは友人。
来シーズンの契約はどうなるんだろ。

印象に残ったのは、ノルディック複合でTV解説をしていた
荻原次晴さんの号泣。

選手ではジャンプの葛西紀明選手。41歳。

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僕は1992年の9月から4年間、ドイツスキー連盟に勤務。
ドイツスキーナショナルチームで働いていました。

もう20年以上も前か。

日本ジャンプ陣が活躍した頃と重なっています。

あの原田選手の失敗ジャンプが語り継がれる、団体戦の
銀メダル、リリハンメル五輪が1994年。

あの瞬間、会場にいました!!

その晩選手村の事務所で(飛ぶ前に原田選手に「おめでとう」と握手した)
ヴァイスフルーク選手と偶然出会って話したのも良い思い出。

寒かった。
本当に寒かったノルウェーのリリハンメル。

でもあの会場は熱気に包まれていた。

こりゃぁ、日本の金メダル確実!って観てたら、
最後にそれが逃げてったよ~(涙)。

目の前で自分と同じウェアを着た「ドイツチーム」の選手と
関係者が飛び跳ねて喜ぶ姿を観ながら、日本人として
複雑な気持ちになったのを昨日のことのように思い出します。

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「ノリアキ・カサイ」

ハンガリー人に「KASSAI」という苗字がある為か、
こちらでは覚えられやすいようだ。

僕は移動中に何十回も声をかけられました(笑)

「オォ~、ノリアキ・カァサァーイ!」って。

(「サァ」にアクセントがくる)

きっとスキーウェアの日本人なら誰でも声をかけられたはず。

ちなみに当時の日本アルペンスキー界のトップ選手は「岡部哲也」。

イタリアでファンクラブが出来るほどの選手だった。

僕はアルペンチームで動いていたので、声をかけられるなら、
こっちだろうに。

イタリア・スイスの国境で一度だけかな。

「(ひょっとして)おまえは、オカーベか?」

って聞かれたのは(笑)。

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話は前後するが。

毎年、年末年始にドイツとオーストリーで開催される
伝統の「スキージャンプ週間」

93年1月1日、「ガルミッシュ・パルテンキルヒェン」で
開催された第二戦。

1年半後に僕が住むことになるこの街で葛西選手は優勝。

「ノリアキ・カサイ」の名は欧州中に響き渡った。

最終の第四戦はオーストリーの「ビショップスホーフェン」。

この日の事は鮮明に記憶に残っている。

オーストリーでレースがあって、終わってホテルに戻ったら、
先にオーストリーチームの選手達がTVの前を占領していたのだ。

葛西選手が1本目トップ。
ジャンプ週間で日本人初の総合優勝が目前に。

2本目。
1本目2位のゴールドベルガー選手が良いジャンプをしたのは確か。

しかし最後のジャンパー葛西選手も距離では負けてなかった。

結果はコンマ差で2位。
日本人の僕には明らかな依怙贔屓に見えた。

「ホームタウンディシジョン」

飛型点を計算したのか、ジュリーの点数が出るのが遅かったもの。

しかし、、TVの前のオーストリー連中の葛西選手に対する
悪口といったら、、。

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TVで観てても観客の声援と拍手の多さが違うんだよな、
葛西選手と地元選手では。

完全な悪役。

イイねぇ~、最高じゃん。
それだけ実力が認められているという訳だ。

観ててゾクゾクしたよ。

欧州で生まれた「競技スキー」という文化。

競技人口も目の肥えた観客数も違う。

「アウェイ」で文化が違うアジアの端から来た選手達が、
テクニックだけで勝てる程この世界は甘くない。

故に勝利には余人には窺い知れない程の価値と
喜びがあるに違いない。

勝った人間にしか判らない何か。

それが原動力となって飛び続けているのではないだろうか。

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人気のうさまろ。


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何かくれるの?

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No title

ワタシも寝てばっかりでなかなかオリンピックが見れませんでした
とうとう終っちゃいましたねー。
石川さんは実際にチームに帯同されてたので、また見方とか気持ちの入りようがちがうんでしょうね~。
葛西の銀はハイライトで何度も見ましたが、毎回感動してしまいました。

スポーツの素晴らしさとか、ナショナリズムとか改めて感じることができました。

Re: No title

お疲れ様です。
今回日本で「将来オリンピックに出場したい」という高校生のラガーマンに会いました、
彼の熱い気持ちを聞いていて、20代前半の自分を思い出しました。
あのギラギラしていた頃の自分を。
「オリンピックに参加する」ってそれ位熱いものですよね。

良かったです。夢が叶ってオリンピックに参加できて。
おまけに日本以外の国から。
その後、別の仕事で2回連続(長野とソルトレイクシティ)に参加。
チームスタッフの仕事ではなかったけれど本当に楽しかったです。
プロフィール

shiatsukenkodo

Author:shiatsukenkodo
--------------------------------------------
・石川 正使 丑年生まれ

・在独29年(治療師歴29年)

・独日の治療国家資格を持つ、世界で一番患者さんに恵まれている治療師

・指圧師
 独・医療マッサージ師
 独・理学療法士
 独・リンパドレナージュ
   治療師
 独・スポーツ理学療法士

・ドイツスキーナショナルチームの専属治療師として世界中を転戦

・ドイツチームでオリンピックに参加した唯一の日本人

・渡独前の夢はすべて実現させました

・お陰様で自分の腕一本で海外生活させていただいています

・この仕事が大好き

・今が一番楽しいです

----------------------

・仕事で一番大事な指の怪我が心配で、高校1年生からのめり込んだラグビーを、40歳で引退

・ラグビーを辞めても、好きなスポーツの順番は変わらず、ラグビー、自転車、スキーの順

・健康維持とストレス発散の為、一年中、毎日往復20kmの自転車通勤で、体力抜群のドイツ人相手にバトルを繰り返す毎日を送っている、下りが苦手な元登録レーサー

・生涯のモットーは、

 「人生は強気で行く」
 
 「本物を目指す」

・ ライフワークは

 「治療の探求」

 「ドイツ語の上達」

----------------------

・どう見られるかより「どう在りたいか」を常に自分に問いたい

・生きていく為の仕事ではなく、仕事の為に生きていく人生

・21歳で天職と決めたこの仕事で「知命」を迎え、全ての夢を叶え、生計を立てられる幸せを沸々と感じる昨今

・「職人」「求道心」「前進」

・ブレない生き方

・「初心」「基本」「患者さんを思う心」の難しさ、大切さが最近やっと判りかけてきました

・25年以上もかかってやっと、「治療の基礎」が確立してきたかなぁー、と思う今日この頃

・それに比例して日々増していく「治療は難しい」という思い

・治療を追求すればするほど天井の低い「先細りの筒の中」を進んで行く感じがします

・治療でも人生でも最後の勝負を決するのは、「気」ではないかと考えています

・全ての夢を叶えさせてくれたドイツに感謝

・90歳まで現役治療師として、患者さんに喜んで頂き、社会に貢献する事を、毎朝深く祈念しています

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